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ある庚申講の人たち

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●庚申塔
書かれている文字は、真ん中は庚申塔
右は天保十亥年
左は三月廿四日

木下街道。千葉県の行徳から木下へ続く、江戸中期から栄えた旧道です。
今回はその通り沿い(やや木下より)にある、天保10年、100の庚申塔が
建てられた場所のお話です。

IMG_0446_convert_20170427135718.jpg

●青面金剛像と三猿
庚申が三尸に関わる風習なので、
伝尸病(結核)の予防に効果のある青面金剛が
彫られたものが多いのではと言われています。
三猿は庚申が「かのえさる」であることから
結びついたと考えられています。

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●並んでいる様子
庚申塔は皆同じ年に建てられたものですが、
劣化には個体差があります。
最初の2つの写真は文字もはっきりして状態がいいもの。

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●出羽三山参拝記念碑
これは昭和に建てられた記念碑ですが、
近隣の地区の記録では早いもので
1600年代後半の参拝記録が残っています。

IMG_0451_convert_20170428195140.jpg

●二十三夜塔
これも講の一種です。

IMG_0454_convert_20170428194659.jpg

●多数の塔の並ぶ真ん中あたり
おそらく、このあたりのお参りの場所だったと思われます。
そこに庚申塔を中心に、参拝記念碑や二十三夜塔が集まって建てられています。
その数およそ百。

地域の人にお話を聞かないと
詳しいことはわかりませんが、
少なくとも江戸後期以降、このあたりの講が
活動していたことが確かになりました。
僕はすぐ近くで生活しているとはいえ
新興住宅地で別世界です。
しかし、同じ場所を共有している(いた)人たちのことを
より知れたら嬉しいです。

ちなみに「講」とは↓
庚申講、江戸時代の農村は地区にいくつも信仰と息抜きの半々のようなグループ
「講」をつくっていて、たまに集まって勤行したりしなかったり、
仲間で飲食したり雑談するんですね。そのグループの一つが「庚申講」です。
さらにこのひとたちは千葉から出羽三山まで参拝していました。

地区によっては現在も活動している講もあります。
最近は海外旅行に行く講もあるようですね。



下線文
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コメント

庚申塔

私も、街道歩きで、多くの庚申塔を見ました。

以下、庚申塔に詳しい人から聞いた話の受け売りです。

庚申塔は「申」ですから、下に「三猿」がいて、上の三日月は夜を表します。

庚申塔の「青面金剛」が踏んづけているのは「邪鬼」です。

お寺(仏教)の場合は「青面金剛」で、神社(神道)の場合は「猿田彦神」なのだそうです。

江戸時代の人々は、庚申の夜には寝ないで、「庚申塔」の周りでどんちゃん騒ぎの「庚申講」をして楽しみました。

そもそも「庚申講」とは、

庚申の日の夜に眠ると、人の体の中にいる三尸(さんし)と言う虫が抜け出して、その人の悪行を天帝に告げ口をする、という道教思想に拠るものです。

天帝は、それを聞いてその人に罰を与え、罪状によって死期を早めたりします。

そのため、庚申の夜は、寝ないで、三尸の虫が抜け出さないようにした、という訳です。

Re: 庚申塔

おぉ、青面金剛は邪鬼を踏んでいたのですね。
コメントありがとうございます。

庚申塔は全国的にあるようですね、
更家さんはきっとたくさん見られたでしょう。

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