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泉倉寺周辺について

●歴史や民俗

○宝珠院、現在も続く民間行事
・観音講、小倉地域の方が宝珠院観音堂で行っている(月一度)
・印西大師、この周辺地域で続いている

【印西大師について】
・四国八十八霊場をこの地に模し、皆で巡拝する
(印西町・白井町・印旛村・本埜村の二町二村に跨っての行事)
・毎年四月一日から九日まで
(この時期が田仕事を始める目安にもなっていた)
・きっかけは享保六年(江戸中期)、水系の氾濫による困窮から
多くの農民を救う目的で始まる→利根川東遷の影響
・昼食地や宿泊地で接待を受ける
・お土産を持って帰るため多くの袋を持って行った
・多い時は一部落から六十人が参加した

↓写真、印西大師の今昔
https://drive.google.com/file/d/0B67GivnmAJBQV19HektsTm9ULXc/view?usp=sharing
(みんな笑顔で写ってますね^^)

○宝珠院の昔話
↓竜の話、読めます(光堂の竜)
http://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/b-shigen/08minwa/inzai02.html

↓外観は簡素で整然とした美しさですが、内部は対照的に豪華な装飾。
別称「光堂」と呼ばれています。(普段、内部は見られません)
観音講でもここが使われるそうです、
その方たちに、この日は開けていただきました。

IMG_1009_convert_20170520154510.jpg

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○泉倉寺(宝珠院向かい)
・印西大師の第一番札所
・印西地方四十八か寺の本寺的存在だった
比叡山延暦寺(総本山)ー東叡山寛永寺(大本山)ー泉倉寺(本寺)ー印西地方四十八か寺(末寺)
・今も玄関には「かご」がおいてあり、格が高かったため移動に使った
・泉倉寺の元寺は小田原の北条氏により、永正四年(一五〇七)八月
焼き打ちにあい焼失。僧兵を多くもつ軍的機能があったようだ、寺はその後再建された

IMG_0712_convert_20170507102018.jpg

↓以前行った時、お寺の方でしょうか庭の手入れをしてました。
歴史は詳しくないけどお庭は頑張ってる、
東京など遠くから参拝の方が来る、
などお話してもらいました。

IMG_1019_convert_20170520154550.jpg

参考文献:
『えいじ遥か』/地域の教材を活用する会
『光堂の竜』/印西町教育委員会
『郷土の文化財』/印西町文化研究会



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【追記情報】5・11結縁寺の名前由来「谷津探検だー!」/5・11宝珠院について「手賀沼への道」【誤り】スズラン→ユリ科が正しい「身近な生物と草花」

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